外交 評論 家 岡本 行夫。 「日韓関係改善は15年必要」外交評論家の岡本行夫氏 :日経ビジネス電子版

飯田)冷戦が終わって、日本はどういう国際貢献をするのだと突き付けられていた時期です。 それで、全く新しいことをしてみよう、食いつめてしまうかもしれない緊張感に身をさらして人生をもう1つやってみようと思い始め、その気持ちを抑えられなくなったのです」 (五百旗頭真/伊藤元重/薬師寺克行編『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』より) 岡本について語るとき、宮家氏が最も力説したのは、岡本が「政策を実行する人=政策マン」だったという点だ。 岡本は「これからおいしい肉まんを送りますから」と、いつもと同じ、他愛(たあい)のない話をした。 当時、外務省担当だった私は、岡本さんのタブーにとらわれない外交論に魅了された。 2000年7月 パシフィカ・ネオ・ベンチャーズ・設立、同共同代表就任• 彼ら米国人が血を流そうとしているのだけれど、我々は血を流さないのですから。 (注)「Voice」に書かれている見解はすべて筆者個人のものです Profile 岡本行夫(おかもと・ゆきお) 1968年外務省入省。 岡本 そうです。 その上で両氏は「岡本さんの遺産は明らかで、1980年代、日米同盟を強化しようとした。
湾岸戦争のときに初めて仕事でご一緒したのですが、最初に出会ったのは1980年ごろです。 結果を残さなければいけないという意味では、いまも昔も補佐官の仕事は同じだと思います。 (元駐韓大使・)• 飯田)その発想の源泉は宮家さんがご覧になっていて、書物を読むなどというところだったのですか? 宮家)もちろん彼は勉強家でしたが、それよりも誤解を恐れずに言うと、役人らしくなかったことです。 外交官だった岡本さんが生前、自身のキャリアを振り返りながら、司馬遼太郎作品に登場する小村寿太郎、東郷平八郎、児玉源太郎、乃木将軍らについて論評するという珍しいインタビューが週刊朝日に残されている。 管制室の分厚いドアには、ドミノピザみたいなパッケージの絵に『世界中どこでも30分以内にお届け』って書かれているんだ」 PR. もしくは、実行するための環境を作っていく。 後進の教育にも力を注いでいたという。 NPO法人新現役ネット理事長。 国を背負っているという気概と誇りを植え付けようとする内容の講義が多いのですが、そんなものは、教育しなくても、実際の職務をこなすに伴って自覚が生まれてくるはずです。 神奈川県出身、一橋大卒業。
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岡本 最終的には、能力主義に基づく任用が定着し、I種、専門職の差別なく優秀な人材を重要ポストに就けるようにするべきです。 イラク戦争でも精力的に動いた 飯田)イラクで実現した自衛隊の派遣。 のちに何者かに襲撃されて死亡した奥克彦参事官と共に、およそ10日間で、車で2000キロほどを回る強行軍を、ものともせず走りきった。 例えば、米国の核抑止力を語る際、岡本さんは米中西部に存在した大陸間弾道ミサイルの発射サイロを訪問したときの話から始めました。 ただ本は出版されるということだ。 (日本協会理事長・元復興支援大使)• 2012年2月 - 委員• 2020年5月9日• 岡本 公的機関がここまで国民に嫌われるというのは異常な事態です。 - 同じ出身の元外交官で評論家。
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